会長の日常をダラダラ語るブログ

PB会長の趣味と日常がまるわかりの公式日記はここだけ(?)

自分自信を考える

時々、自分で自分の考えがわからなくなる時があります
何故、そう思ったのか?
何故、そう考えたのか?
自分のことなのにわからなくなります
そんな時ほど喪失感を感じることはありません
何を本当はしたいのか、何を本当は求めているのか?
自分自身のことなのに、わからなくなります

自分のことすらわからないのに、他人のことなんて考えている余裕なんてありません
でも、それでは周囲からどんどん人気が去っていくのが現実
自分のことで精一杯なのに自分以外も考えないないといけない
「皆そうだから」と一言で片付ける人も多いけど
本当に、そうなのかな?
時々思うんです、自分のことも見つめられないのに
どうして、他人を構えるのか?他人を理解できるのか?
他人は理解できるのに、どうして自分のことは理解できないのか?
自分のことも理解できていないのに、他人を理解できるんでしょうか?
第3者だから冷静に見れるというのもあるのでしょう
でも、自分が何かもわからないのに、他人を理解しあっと考えるのは
それは本当に理解なんでしょうか?
それは誰にもわかりません、多分答えなんてないんでしょう
それは自分自身に対しても言えると思う
自分のことがわからないから答えを他人も求めて参考にする
でもそれは参考であって、そこから自分が導きだす答えも
きっと”参考程度”なんでしょう
自分のことなんてわからない、わからなくていいんでしょう
もし完全にわかったら、きっとその人はその完全な答えに縛られる
答えがわからない、だからこそ考える、考えるからこそ自由なのでしょう
答えを求めるのがすべてではない、答えを求める過程が大切なんだな
答えが出たということは、自分がそこにたどり着いたということです
すなわち、それは自分に対する結論が出た
導き出した答えに縛られるということではないでしょうか
答えを追い求めているうちは縛られはしない
いくつもの可能性が存在し、選択するのは自由
その数ある選択肢の中から選ぶのも、思考するのも自由
要するに、大事なのは答えを出し切ってしまうことではなく
考えている時間が大切なんだなと
答えを出し切った時点で可能性は大きく制限され、縛られる
だから本当に大切なのは答えのない答えを探す時間なんだな
でも、それでも、わからなくなります
何故、そう思ったのか?
何故、そう考えたのか?
悩んで、出る答えは決まってるのに…
答えよりも大事なものを知ってるのに…

間違いを恐れない、後悔先に立たず、ダメならそれまでだったという一種の諦め

一人きりで今日も思考は続きます
でも、それでいいんです
こんな事を考えなくなった時、それは何らかの答えが出てしまった時なんですから
それはつまり、自由を無くして縛られた世界に定着してしまったということなんですから…
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my理論 | コメント:2 | トラックバック:0 |
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この記事のコメント

なるほどね~

俺的には自分ってのは一生かけて考えながら作っていくものと思ってます。
自分のことだからこそ客観的に見れなくて理解しきれないのかもね(^^;)

そうそう、他人のことまで考えてると本当に大変。
でもそれが自分の考えに何かを与えてくれるからいいんだと思うよ。

とかコメントしてみたw
2006-06-14 Wed 23:36 | URL | shuu #-[ 編集]
確かに自分は客観的には見れないよね
他人のことまで考えてると大変
でも大変な分余計に他人には客観的になれたりするんやけどね
2006-06-15 Thu 19:11 | URL | PB会長 #mQop/nM.[ 編集]

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